こんにちは、たぬきちです!
今回は、たぬきちがアレルギー・化学物質過敏症を発症してから、日常生活を取り戻すまでの経緯をご紹介します。
たぬきち以外にも、アレルギー・化学物質過敏症が良くなった例は複数あります。
それぞれのライフスタイルに合わせて工夫し、無制限とは言えないまでも日常生活を取り戻し前進している様子には励まされます。
たぬきちの経験も、誰かの参考になれば嬉しいです。
謎の湿疹
17歳の時に突然、足(すねやふくらはぎなど)に湿疹が出はじめました。
まさかそれが大学生になっても、社会人になっても続くとは知るよしもありません。
なんとなく、肉を食べるとひどくなる気がして、医者に言っても「気のせい」とのこと。
当時は何も知識がなかったので、「そうか」としか思いませんでした。
大学生になっても、やはり肉や油っぽいものを食べると悪化。
少し肉を控えたりもしましたが、本格的に食生活を見直すことはありませんでした。
自分では健康的な食生活をしていると思っていたよ!
掌蹠膿疱症
その後、大学で研究者を目指して実験に明け暮れていると、掌蹠膿疱症を発症。
手の平や足の裏に繰り返し膿疱ができては消える。
とても痒い。なかなか治らない。
その後、化学メーカーの研究所に勤めるも、全身に湿疹が広がり日常生活もままならなくなりました。
ここでようやく「これはマズイ」となりました。
必死で衣食住を見直す生活がはじまりました。
人間追い詰められないと本気出さないね!
化学物質過敏症
20代で重度のアレルギーになり、日常生活が困難になった後も、ゾンビのように仕事へは行っていました。
仕事は好きだったし、一生懸命働くことが心の拠り所になっていたのかもしれません。
でも実はその仕事内容に、問題がありました。
化学薬品をたくさん使う仕事だったのです。
希望して就いた仕事。天職とさえ思っていました。
だから、見て見ぬふりをしようとしました。
同じ職場環境でも、大丈夫な人は大丈夫なのです。
でも、私は大丈夫ではなかったようです。
顔も体も紅斑だらけ、手もぐちゃぐちゃでいつも手袋、足も膿疱が破れた痛みでヒョコヒョコ歩き。
おまけに気管支炎でゴホゴホ、鎖骨や肋骨の石灰化で動きもぎこちない。
もう見るからにアウトな状態。
上司に相談すると即、化学薬品を直接使わない部署に異動させてもらうことになりました。
衣食住の中には、職場環境も含まれます。
これらすべてを整えないと、アレルギーの改善は難しいです。
その後、激しい湿疹は数年で改善しましたが、謎の頭痛や吐き気、倦怠感に悩まされるようになりました。
仕事へも行けなくなり、2019年に化学物質過敏症と診断されました。
発症~化学物質過敏症と分かるまでに8年くらいかかったよ!
衣食住の本格的な見直し
まずは日常生活を取り戻すべく、衣食住の本格的な見直しがはじまりました。
できるだけ化学物質を体に入れない。
入ってしまった化学物質を体の外へ出す。
基礎体力をつける。
特効薬や治療法がないため、ひとつひとつ地道な生活の積み重ねとなります。
地道ではありますが、確実に体はよくなります。
現在は、化学物質過敏体質とうまく付き合いながら、周囲と調和して日常生活を送れるようになりました。
欲を言えば、ばりばり働きたいし、もっと活発に活動したい。
だけど、どん底の時を振り返れば、この日常は奇跡のようなもの。
この体験は、きっと今病気で苦しんでいる人のヒントになる。
そう思ってブログで発信することにしました。
何かひとつでも、ヒントになれば幸いです。
必ずよくなるよ!大丈夫!!