こんにちは!
このサイトでは、
24歳で掌蹠膿疱症(のちに骨関節炎を併発)を発症し、
後に化学物質過敏症の診断も受け、
心身ともに限界でどう生きてゆけばいいのか分からなかった私が、
身の回りの物、仕事や日々の生活、人間関係、思考や習慣、心の中の悩みや葛藤・・・
ひとつひとつ、手放すごとに心身が軽くなり、
心からやりたいと思うことを見つけ、
会社をやめて起業するに至った経緯を、
包み隠さず書いてゆきます。
👇前編はこちら👇

前編では、主に「物」や「生活」の手放しについて書きました。
気管支炎がきっかけで身の回りの物を手放しはじめ、
掃除や体が楽になり、空間がすっきりすると気分も清々しくなることを実感。
加工食品や外食などの体に合わない食べ物を手放して、
体の湿疹や炎症が軽くなることを体感。
化繊や締め付けの強い衣類を手放したら、
体がほっとして皮膚の状態も上向きました。
さらに、石けんやシャンプー、化粧品類を手放して、
肌や髪を人から褒められるまでに。
物や生活習慣をひとつひとつ見直し、自分に合わないものを手放したことで、
時間や健康、空間や心のゆとりが増えてゆきました。
後編では、さらに「目に見えないものの手放し」へと踏み込んでゆきます。
私の場合、物や生活習慣といった「目に見えるものの手放し」が、
「目に見えないものの手放し」の練習になったと感じています。
物を手放す時に、実際には心の中にある不安や執着なども一緒に手放しているからです。
例えば、私は社会人になった後も、学生時代の教科書やノートを大切に持っていました。
段ボールに何箱もあり、しかも重いので引越の時に運ぶのが一苦労・・・。
収納の大部分を占めていて、部屋の一角にも段ボールを積み上げていました。
もし処分せずに持っていたら、将来これらを懐かしく見返すこともあったかもしれません。
でも、心身ともに疲弊して、今日一日を生きるのにも精一杯の時、
優先すべきは「今、現在」だったのです。
今をしっかり生きるために、過去を手放す選択をしました。
そこには、研究者を夢見て勉強や研究に励んだ過去の自分が詰まっていました。
いつかはまた大学に戻って研究者に・・・と、当時はまだほのかな夢を抱いていました。
でも、これらの教科書やノートを手放したことで、
「過去のがんばってきた自分」を手放し、「未来の可能性の中に生きる」のをやめ、
「今に全力で向き合う覚悟」が生まれました。
そして、病気や生き方に真剣に向き合ってきた日々の積み重ねが、
今の「生きている」という力強い実感に繋がっていると感じています。
アドラー心理学をベースに、豊かな人間関係と充実した人生を築くことを説いた大ベストセラー、
『嫌われる勇気』の中に、こんな一節があります。
「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ
「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、
「今できることを真剣かつ丁寧にやってゆくこと」とあります。
つまり、過去や未来を見て、うすらぼんやりとした光を当ててみても、
何か見えたつもりになるだけ。
以前の私は、過去や未来ばかり見て、まったく現在に集中できていませんでした。
過去や未来ばかり見ることを手放し、今を真剣に生きるようになったら、
「生きている」実感へと繋がりました。
また前置きが長くなりましたが、
今回は具体的に私が20~30代で手放した代表的な10のものと、
それにより得たもの(後編)をお届けします!
よかったらどうぞお付き合いください😊
手放したもの⑤ 体に合わない職場
大学院を出た後、化学メーカーの研究所で働き始めました。
仕事内容は面白く、「天職だ!」と感じていました。
当時の研究所には、どこか自由な空気感が流れていて、
のびのびと仕事に取り組める環境でした。
休憩室からは海が見えて、そこで仲間とお昼ご飯を食べたりお茶を飲んだりするのも楽しみでした。
しかし、そんな充実した研究所生活も長くは続きませんでした。
化学物質にアレルギーを起こしてしまったのです。
私はもともとアレルギー体質でした。
17歳くらいから足に湿疹が出て、ずっと治らずにいました。
大学・大学院でも実験にたくさんの薬品を使用していました。
就職後の工場研修で大量の化学物質に接したことで、
積み重なってきたものが爆発してしまったのだと思います。
湿疹が一気に全身へと広がり、骨の痛みも伴うようになりました。
体中の痒みと痛みで眠れない日々が続きました。
朝になるとシーツは搔きむしった浸出液や血液、皮膚片でぐちゃぐちゃに。
そしてある日、上司に体調の異変を伝えると、即本社へ異動ということに。
研究所を離れ、直接化学物質に触れない業務内容にしていただき、
徐々に皮膚症状は改善してゆきました。
一日の多くの時間を過ごす職場の環境も、
体には大きな影響があるのだと実感しました。
👉まとめ
手放したもの:化学物質を扱う研究所での仕事
得たもの:皮膚症状の改善
手放したもの⑥ 人の目を気にすること
研究所から本社へ異動して、しばらくは人事部預かりとなり、
採用活動のお手伝いをすることになりました。
学生と接する機会もあったのですが、当時の私は顔も手も炎症がひどく、
「こんな状態で人前に出ていいんだろうか?」と内心引っ込みたい気持ちでいっぱいでした。
でも、仕事ですし、急に異動してきた私を受け入れていただいたことや、
病院通いで休みがちなことに理解を示していただけたことに、
少しでも報いたい気持ちで一生懸命取り組みました。
短い期間でしたが、採用活動という貴重な経験をさせていただきました。
しばらくして、営業部に受け入れてもらえることが決まりました。
内心、胃がキリキリするような緊張感を覚えました。
というのも、新人時代に営業部で研修したことがあり、
右も左も分からずとても戸惑った記憶があったためです。
電話が鳴るたびに「ドキッ」として、対応に右往左往しました。
そして、当時の研究所と営業部はちょっぴり仲が悪かったのです。笑
今ならそんな大げさに考えることはなかったと分かりますが、
当時はもう、「狼の群れに羊が一匹で放り込まれた」ような心地でした🤣
本当に分からないことだらけで、誰に聞いていいのかもわからない・・・。
同じ会社でもこうも違うのかと思いました。
気づいたら、人前に出る時や、人と話す時に、
顔が真っ赤になって汗が滝のように出る状態になっていました。
赤面症というものでしょうか?
落ち着こうと思っても、ますます顔は紅潮するばかり・・・。
研究所ではそれなりに自信を持って前進しているつもりだったので、
落ち着いて人と接することができました。
それが、まったく畑違いの場所へ来て、
何も分からない、何もできない自分が恥ずかしくて、
自信も失い、いつも人の目ばかり気にしていました。
多分、「自分は研究職だった」という謎のプライドもあったと思います。
でもある時、「こんなプライド何の役にも立たない」と気づき、手放すことにしました。
赤面症を気にするのもやめました。
顔を真っ赤にしながら、なりふり構わず、やるべきことをやっていたら、
徐々に周囲にも信頼され、客先への同行訪問をさせてもらうようになりました。
研究所にいた時の知識を活かして技術プレゼンをしたら喜ばれ、
私も嬉しくてやる気が出ました。
プレゼン資料を作って、人に説明することを続けて数年。
海外の代理店やお客様向けの重要なプレゼンも任せてもらえるようになりました。
そして、気づいたら赤面症も治っていました。
👉まとめ
手放したもの:謎のプライド、人の目を気にすること
得たもの:周囲からの信頼、仕事のスキルアップ
手放したもの⑦ 病気を恨む気持ち
本社に異動して数年が経ち、だいぶ環境にも業務にも慣れてきた頃、
学生時代からずっとお付き合いしていた彼と結婚することになりました。
30歳の時です。
体調にまだ波はあるものの、仕事にやりがいを感じ、プライベートも充実し、
めでたしめでたし!
・・・とゆきたいところなのですが😅
すべてがうまくゆくと思われた矢先、
会社で組織改編による部署異動があり、少し状況が変わりました。
プライベートでも色々と変化がありました。
そして、重なる時は重なるのですね・・・。
仕事でもプライベートでもトラブルがあり、突然苦境に立たされます。
でも、捨てる神あれば拾う神あり。
心身ともに参っていたところ、運よくいい上司の方に拾われます。
知的財産部へと異動し、特許関連の仕事をすることになりました。
今までの人前でプレゼンをしたりする仕事とは打って変わって、
静かにデスクワークをする業務内容になりました。
上司の方をはじめ、部署の方々もとても穏やかで温かく、心底癒されました。
そして、今まではりつめていた気持ちがほどけ、どっと疲れが出てきました。
30代に入り、踏ん張りもきかくなくなってきたように感じました。
その頃は、少し症状も変化していて、皮膚症状はだいぶ良くなっていたのですが、
頭痛や吐き気、倦怠感に悩まされていました。
そして、病院を受診したところ、「化学物質過敏症」と診断されました。
2019年、33歳の時です。
「とにかくもう休みたい・・・。」
1年半、休職させていただくことになりました。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」
「勉強も、仕事も、一生懸命頑張ってきたのに、なぜ病気になんかなってしまったのか・・・。」
悔しい。悔しい。悔しい。
病気も、自分の体も恨みました。
そんな時、偶然一冊の本に出会います。
自然療法の大家、東城百合子さんの『生きた実例と手引き「自然療法」』でした。
表面的なものを一切排除した、どストレートで力強い言葉・・・。
正座して号泣しながら一気に読み終えました。
「私には、感謝が足りていなかった・・・。」
勉強も親にさせてもらっていたし、仕事も会社に雇ってもらって働かせてもらっていた。
そもそも、親に産み育ててもらって33年間「生かされていた」だけだった。
それなのに、それを当たり前のこととして思い出すことすらなく、
ひたすら自分が頑張って生きてきたと勘違いをしていた。
病気に対しても、あちこちの病院を回り、色々な本を読み、情報を集め、
漢方だ、食べ物だ、これが良い、あれが悪い、と躍起になっていた。
そして、「こんなに頑張っているのになんで治らないんだ!!」と怒り、
病気と体を恨み、症状に一喜一憂していた。
完全に間違っていた。
病気は、治すものではなく、学ぶもの。
病気を恨んでも、いい方へは行かない。
もちろん、症状が悪化するとまた感謝を忘れて、病気や体を疎ましく思ったりもします。
でも、感謝を思い出した時の、心が開いて前向きで明るくなる感覚。
それを知ることができたのは大きかったです。
忘れては思い出し・・・。
その繰り返しで、病気に教えられて、育ってきました。
この出来事からさらに7年が経ち、今年40歳を迎えます。
まだまだ未熟ではありますが、以前よりも物事を深く見る視点が育ってきたように思います。
病気にならなかったら、私は感謝もなく浅い思考で生きていたかもしれません。
そう思うと、病気も悪いことばかりでもないな、と思います。
👉まとめ
手放したもの:病気を恨む気持ち
得たもの:病気に対する心構え(「病気は治すものではなく学ぶもの」)
手放したもの⑧ 会社員という生き方
いよいよ長文になってきたので、ここからは少しサクサク行きますね!笑
2度の1年半の休職を経て、2024年に退職することを決意しました。
37歳の時です。
最後まで揺れに揺れましたが、
私の体では毎日の通勤やフルタイム勤務に対応できないと判断しました。
これまで、私の体調に最大限の理解を示し、励まし支えてくださった上司の方や、
部署の方々には感謝してもしきれません。
できれば、もう少し一緒に働いて、役に立ちたかったです。
退職後、パートやアルバイトも考え、実際に応募もしましたが、
なかなか自分が働ける環境や条件の仕事を見つけることはできませんでした。
ないなら、作るしかない。
こうして、起業への道を模索し始めます。
それにしても、今まで会社員という生き方しか知らなかったので、
起業の事なんて何も分かりません。
そこで、起業を目指す女性が多く参加するオンライン講座に飛び込み、
そこで色々な生き方を目の当たりにしました。
退職した翌年の2025年、個人事業主として税務署に開業届を提出し、
起業の第一歩を踏み出しました。
👉まとめ
手放したもの:会社員という生き方
得たもの:個人事業主という生き方
手放したもの⑨ 不妊の悩み
会社を退職して、まず取り組んだのが不妊治療でした。
私は子供が大好きで、20歳くらいからずっと母になるのを夢見てきました。
しかし、結婚してからも思うように子供を授かりませんでした。
生理が来るたびに泣いたり、
友人の妊娠・出産の報告に胸の奥がズキっとして、
素直に喜べないこともありました。
街で赤ちゃんを見かけると胸が苦しくなりました。
病気や仕事のこともあり、なかなか向き合えずに時間が過ぎ、
焦りばかりが募ってゆきました。
私の退職を機に、初めて夫婦で不妊治療専門の病院を訪れました。
大変なこともありましたが、夫と話し合いを重ね、
夫婦二人で改めて同じ方向を向いて歩んでゆくことを確認し、
絆を深める貴重な機会となりました。
今までは、「子供ができない」と、ないものにばかり目が行っていましたが、
しっかりと向き合えたことで、「夫婦2人の時間がある」と、
あるものにも目が行くようになりました。
また、お母さんになった友人たちを、心から応援できるようにもなりました。
今は、大好きな友人たちと時々会って楽しい時間を過ごし、
心の中で微力ながらエールを送っています。
自分自身が子供を産み育てることができなくても、
次世代に対してできることはきっとあると思います。
結局、病院通いはやめ、子供は授からず今に至ります。
でも、不妊の悩みは解消しました。
ただ、こればっかりは時間も必要だったと思います。
頭でそう思おうとしても、無理です。
私の場合は、ある程度の時間をかけて、
心から納得できたタイミングでようやく解消した感じです。
👉まとめ
手放したもの:不妊の悩み
得たもの:夫婦の絆、友人たちとの充実した時間
手放したもの⑩ 親への反発
ラスボス登場です!笑
私はひとりっ子で、両親からの愛情を一身に受けて育ちました。
とても恵まれていたのは事実ですが、
私自身はそこに感謝しきれずにいました。
成長とともに、両親の関心や心配が重く感じられるようになってゆき、
私に元気でいてほしい、幸せになってほしいという愛情が重く感じられました。
そんな感じで30代後半に突入し、
「仕事なし」「子供なし」という自分では想像もしていなかった状況になり、
自分とじっくり向き合う機会を得ました。
その中で、少しずつ親への想いについても向き合ってゆきました。
そこで見えてきたのは、私が「何を愛情として捉えているか」でした。
私は、「信頼」が愛情だと感じていました。
だから、「信頼」だけを愛情として受け取り、「心配」は愛情として受け取れずにいました。
心配されるたびに「私は信頼されていない」と、悲しい気持ちになったり、怒りを感じたりしていました。
でも親からしたら、どちらも同じ愛情。
今まで私はいかに多くの愛情を捨ててきたかに気づきました。
そんなの、もったいない・・・!!
相手に違う形の愛情を要求するのではなく、
自分の「愛情の器」を見直して、どんな形の愛情も受け取れるようになる。
そうしたら、両親の重い愛情も(失礼😅)、
大きなエネルギーとなって私を支えてくれるはずです。
とはいえ、なかなか素直になれないこともありますが・・・。
ちょっぴり反発しつつ、感謝しつつ、「愛情の器」を育ててゆきたいと思います。
👉まとめ
手放したもの:親への反発
得たもの:愛情を受け取る力
********
今回は、「心の手放し」というちょっとディープなテーマだったので、
当時の状況や心境を書いたら長文になってしまいました😅
最後まで読んでいただきありがとうございました。
何か少しでもヒントになれば幸いです。
********
メッセージをいただけると大変励みになります!
いつも本当にありがとうございます✨
ご感想・ご質問はこちら👇よりお願いします🙇♀️
🍀オンライン相談・講座も好評受付中🍀
ぜひお気軽にお問合せください😊
