スマホを手放して4年間過ごした結果

こんにちは!たぬきちです。

2020年1月にスマホを手放しました。

現在は、様々なサービスがスマホ前提になり、スマホがないと言うとビックリされることも多々。

友人同士もLINEで繋がっていて、個別にメールしてもらうことに心苦しさを感じることも・・・。

それでもなぜ、わざわざスマホを手放すことにしたのか。

今回は、スマホを手放すことにした経緯や、手放したことで起こった変化について書いてみたいと思います。

なぜスマホを手放したのか?

重度のアレルギー・化学物質過敏症になり、限られた気力体力で日々必要なことをこなすためには選択と集中が必要でした。

自分にとって何が重要で、何が重要でないのか。

何が快適で、何が快適でないのか。

ひとつひとつそぎ落としていった結果、スマホは残りませんでした。

医師から、スマホの使用について注意を受けていたことも理由のひとつです。

化学物質に過敏になると、電磁波にも過敏になることがあるので、肌身離さずスマホを持つのはあまりよくないというようなことを仰っていました。

あともうひとつ、実はこれが一番大きな理由だったかもしれませんが、スマホで延々病気について調べてしまうのが嫌でした。

苦しくなると、自分で考えるよりも先に検索をはじめる。

そして、なぜかネガティブな情報ばかりを集めてきてしまう。

そうするとますます不調になるのでやめようとしても、意志の力を使って疲れてしまう。

疲れるとさらにスマホを使う時間が長くなる・・・。

不思議だなーと思うのが、疲れるとスマホをいじりたくなること。

意思の力が働かなくなるのか、刺激で疲れをごまかそうとしているのか・・・。

長時間スマホをいじっちゃう時は、かなりお疲れかも!

スマホを手放した直後に起きたこと

スマホを手放した後は、通話機能のみの携帯電話にしました。

携帯で通話やショートメールをし、パソコンでメールをします。

家族や友人の理解もあって、特にコミュニケーションに不便は感じません。

ただ、しばらくの間は、どこでもいつでも検索ができないことにいらだちを感じました。

疑問に思ったことの答えを瞬時に与えてくれるスマホという存在に、いかに依存していたかに気づきました。

ちょっとしたすき間の時間がやたらと長く感じられる。

常に何かを見ていたい、情報を得たい、刺激がほしい、そんな気持ちに駆られる。

そんな時期がしばらく続きました。

また、外出の際に電車の時間や地図を調べられないのが不便でした。

事前にパソコンで下調べをして、メモをしてから出かける。

想定外のことが起きると、その場でなんとかするしかない。

でも、そんな不便さにも次第になれてゆきました。

不便も便利も両方楽しむ

スマホを手放して丸4年が経ちました。

スマホのない生活にすっかり慣れ、不便を楽しいとさえ感じるようになりました。

道に迷っても、ハプニングが起きても、意外となんとかなってしまう。

それよりも、生活のシンプルさ、情報過多から抜け出した身軽さが心地いい。

一番の変化は、検索する時間が圧倒的に減ったこと。

その分、本や新聞を読んだり、講演を聴いたり、人に相談したり、インプットに多様性が生まれました。

ネガティブな情報ばかり集めて、必要以上に深刻になることもなくなりました

一方で、こうでなきゃ、というこだわりも薄れてきました。

たまたまスーパーで見かけたかなりご高齢の女性が、さっとスマホをかざしてスマートに会計をしているのを見て、素直にかっこいいと感じました。

あんなおばあちゃんに、なりたいかも・・・。

自分が主体的にする選択で、もっと自由に楽しんでいいのかもしれない。

アナログの良さも、デジタルの良さも、両方を知った上で使いこなす。

最近、家族が出張のためにスマホが必要になり、再び契約をしました。

そのスマホを共用にして、旅行などにも活用しようという話に。

再びスマホのある生活になりました。

でも、以前のように依存することはなくなりました。

一度スマホと距離を置いたことで、自分にとって快適な付き合い方ができるようになったようです。

「デジタル・ミニマリスト」という生き方

以前、カル・ニューポートさんの『デジタル・ミニマリスト』という本を読みました。

スマホ・ネット依存の正体について彼は、テック系独占企業は人々がスマホ・ネットを使う時間が長くなるほど儲かることを知っていて、より長時間これらを使いたくなる仕掛けをしていると言っています。

例えば・・・

ネットニュースを見ていると時々刺激的でおもしろい情報に当たり、ついついおもしろそうなタイトルをクリックしてしまう。

SNSで他人とつながり、コメントをもらうなどして承認欲求を満たそうとする。

便利なアプリが生活に入り込んで手放せない。

これらはテック系独占企業の仕掛けにかかっているのだそう。

このように、企業が人々の注意を引くことで儲かる「注意経済(アテンション・エコノミー)」というものが存在し、盛んに研究されています。

「私たちの時間=彼らの儲け」というわけです。

これで、私たちも幸せになるならWIN-WINで問題ないように思いますが、そうとばかりはいえない現実があります。

私たちの生活には仕事や家事の間の「すき間時間」というものが存在します。

今、多くの人々がこのすき間時間をスマホ・ネットを見ることに使っています。

こうなると、人々は常に外側に意識を向けていることになり、自分の心身を見つめて内側に意識を向けることがなくなります。

結果として、感情を観察してコントロールしたり、思考を深めて主体的に行動したりすることが難しくなり、精神的に不安定になります。

では、どうするか?

著者は、人生のすき間時間を、次のようなことに使うと人生の質が向上すると言っています。

「手足を動かすこと」

「人と触れ合うこと」

「自然の中に身を置くこと」

人間は昔から、心身の健康を保つためにこれらが不可欠であることを経験的に知っているとのこと。

また、新しいテクノロジーとの付き合い方について、次のような提案をしています。

【新しいテクノロジーとの付き合い方】

自分にとってのメリットとデメリットを考える

メリットが大きい場合は、自分の目的を果たすための他の手段がないか考える

テクノロジーを導入する場合は、メリットを最大化しデメリットを最小化する

こうして、テクノロジーを自覚的に使いこなして自分の人生を主体的に生きる。

これが、「デジタル・ミニマリスト」という生き方。

これからの時代は、スマホ・ネットに限らず、あらゆる技術についてこの考え方は大切になってくるのではないかと思います。

生身の人間として、健全な心身を保ちながら、技術革新の恩恵も受けて豊かに暮らす。

そのバランス感覚を養ってゆけたらいいなあと思います!