「〇〇だったら幸せ」という思い込みを手放して得たもの

こんにちは!

春本番の温かい気候になってきましたね~!

でもまだまだ朝晩は冷えます。

どうぞ朝晩は温かくしてお過ごしください!

さて、今日は私の手放しエピソードをひとつご紹介します。

アレルギーをきっかけに、物の手放しからはじまり、

家事・仕事・習慣・人付き合いなどの手放し、

そして執着や思い込みなどの心の手放しによって、

心も体も軽くなり、とても生きやすくなりました。

このエピソードが、読んでくださる方にとって、

何か少しでもヒントになったら嬉しいです😊

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<仮の人生>

「病気が治ったら幸せ」

「働けたら幸せ」

「子供ができたら幸せ」

・・・かつての私はこんなふうに思っていました。

だから、一生懸命、病気を治そうと努力したり、

仕事を続けられるように工夫をしたり、

妊活に励んだりしてきました。

でも、なかなか思うようにゆかず、

「なんで私だけ?」

と暗い気持ちになったり、

「いつになったら苦しみから抜け出せるの?」

と苛立ったりしていました。

いつも、「仮の人生」を生きているような感覚がありました。

「〇〇だったら」が叶ったら、きっと本当の人生がはじまる。

そんなふうに思っていました。

だから、幸せを感じることも少なかったし、

いつまでも「本当に生きている」という実感がありませんでした。

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自分で課している条件に気づく

「〇〇だったら幸せ」という考え方は、

あまりにも自然で、まったく自覚すらしていませんでした。

ごくごく当たり前に、

「いい成績を取ったら幸せ」

「希望の大学に入れたら幸せ」

「いい会社に就職できたら幸せ」

「結婚できたら幸せ」

・・・というように、なんの疑いもなく歩んできました。

これも別に悪いことではありません。

「こうなったらいいな」

と思い描いて行動をする。

ただそれだけのことです。

しかし、これが、

「こうでなければ幸せではない」

になると苦しい。

知らず知らずのうちに、色々な条件を課して、

自分を縛って、渇望感から行動に急き立てる。

そうすると、とたんに人生はハードモードになります。

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<幸せな「状態」はない>

生き方に向き合う中で、思い出したことがあります。

自然療法の勉強をしたくて通っていた健康料理教室で、

病気があっても活き活きと活動する人々に出会いました。

そういう人々の目は輝き、力が宿っていました。

病気=不幸、ではなかったのです。

「心まで病人になってはだめよ!」

という先生の言葉にはっとしたのを覚えています。

同様に、

健康=幸せ

働ける=幸せ

子供がいる=幸せ

とは限らないということです。

状態が幸・不幸を決めているわけではない。

同じ状態でも、幸せを感じる人もいれば、幸せを感じられない人もいる。

さらに言うと、求めるものを手に入れた瞬間は幸せを感じたとしても、

その後しばらくして幸せを感じなくなり、

次の、「〇〇だったら幸せ」を追い求めるようになる。

これでは、幸せを感じている時間はほんの一瞬で、

その他大部分の時間が、幸せを追いかけている時間になります。

それが楽しければまったく問題ありません。

でも、苦しさを感じるなら、

「〇〇だったら幸せ」という思い込みを手放してもいいかもしれません。

幸せは「なる」ものではなく、「感じる」ものなのだと思います。

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<幸せを感じながら、望む>

ここまで読んでいただいて、

じゃあ、「足るを知る」ってかんじ?

と思われるかもしれません。

答えは、YESでありNOです。

私の場合、「足るを知った上で、望む」というスタイルを採用しています。

人の欲は、使い方次第で人を幸せにも不幸にもすると思います。

そして多くの場合、渇望感からくる欲は苦しく、

行き過ぎて身を滅ぼす恐れがあると感じています。

そうではなく、足元の「ある」にしっかりと目を向け、

幸せを感じながら、望む。

これが私にとっての幸せな生き方です。

私には今でも、

「こうなったらいいな」

という夢や希望はあります。

でも、それはあくまで手段であって、

その手段を使って自分は「何を感じたいのか?」を意識するようになりました。

わくわくしたいのか?

安心したいのか?

刺激がほしいのか?

安定がほしいのか?

などなど。

表面的な望みの奥にある、本質的な望みを見極めるのです。

だから、まず「感じる」ことがとても重要。

「感じる」ことができないと、たとえ望みが叶ったとしても、

自分が本当に感じたかったことを感じられず、

乾き続けることになるからです。

私のつい最近の出来事ですが、

個人事業主として開業してしばらく、

まったくお客様がいない時期がありました。

「一人目のお客様が来てくれたら、どんなに幸せだろう!」

と待ち焦がれていたところ、ついに念願のお客様が・・・!!

お客様を待つ間、毎日コツコツ準備を続けていたので、

満を持して講座をスタートすることができました。

この何者でもない自分が、人からお金をいただいてサービスを提供できるなんて!

自分の経験から学んだことを伝えるだけで、喜んでもらえるなんて!

とても感動しました。

・・・それから数カ月後。

当初の感動も落ち着いてきて、

「もっともっと」

という気もちがむくむくと湧いてきている自分に気づきました。

ああ、苦しい。

そう感じて、はたと我に返りました。

私は講座をやって、何を感じたいんだっけ?

学ぶ楽しさ。

人の役に立てる喜び。

ライフワークを持つ充実感。

これらを思い出し、しっかり味わうようになったら、

あっという間に苦しい気持ちが消えていました。

人は忘れる生き物です。

どんなに大切だと思っていても、

簡単にすっぽり忘れてしまいます。

だからこそ、「習慣」がとても大切だと痛感しています。

最後にひとつ、習慣についても触れておきたいと思います。

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<「感じる力」を育む習慣>

幸せに生きるには、「感じる力」が不可欠。

なぜなら、幸せは感じるものだから。

私は今、この「感じる力」を育むために、

「五感ワーク」や「感謝日記」に取り組んでいます。

「五感ワーク」は、1日に1回、五感に集中する時間をつくり、

手帳に嗅覚、触覚、味覚、聴覚、視覚の順に書き込んでゆきます。

それぞれ1行ずつくらい、感じたことそのまま言葉にします。

時間にして3~4分くらいでしょうか。

やってみると、静かな部屋にも色々な音があることに気づいたりして、

普段いかに五感をスルーしているかがわかります。

現代社会には情報が溢れ、頭で思考することが多くなりがちで、

五感や手足、感情を使う機会が減っていると感じます。

そうすると、今自分が何を感じていて、何を感じたいのかがよくわからず、

何をしてもいまいち満たされない、という渇望感につながると思います。

そのため、意識的に「感じる」時間をつくります。

「感謝日記」は、毎日ノートに10個、感謝を手書きしています。

半年ほど前に始めたのですが、これが想像以上に効果的です。

正直、私は感謝日記にまったく興味がありませんでした。苦笑

感謝とは心から自然に湧き出るもので形式的にするものではない、と思っていたからです。

転機となったのは、腰痛がきっかけで入ったオンラインコミュティ。

主催者の方に、まずは感謝日記を3か月間続けてみて、と言われたのです。

感謝日記をはじめて2カ月ほど経ったある日、

お皿洗いをしていて、「ああ、手ってありがたいな」と思った瞬間がありました。

自分で「えっ?今、私、なんて?」と驚いたのを覚えています。笑

そこから、日常の中に小さな感謝が増えてきて、

幸せを感じることがじわじわと増えてゆきました。

形から入って心に至る、を体感した出来事でした。

思えば、祖父母の家にあった神棚や仏壇。

昔の人は、生活の中に感謝や祈りを捧げる習慣があったのだと思います。

それは、幸せに生きるための知恵だったのだと、今になってわかりました。

「〇〇だったら幸せ」という思い込みを手放したら、

日常の中に幸せを感じることが増え、

とても生きやすくなりました。

さらに、「感じる」ことや、「感謝」の大切さにも気づきました。

これからもこうした習慣を続け、

幸せをしっかりと感じながら、

どんどん夢や希望を叶えてゆきたいと思います😊

長文を最後までお読みいただきありがとうございました!