親への反発の奥に隠されていた本音とは?

こんにちは!

つい先日、実家に帰省しました。

久々に歩く故郷の街はあちこち変わっていて、終始キョロキョロ。

実家のある丘の上に辿り着くと、

生い茂った草木の間から、懐かしい風が吹き抜けてきました。

幼いころからこの庭でたくさんの時間を、

植物や昆虫の観察をして過ごしてきました。

ドアのベルを鳴らすと、両親が笑顔で出迎えてくれ、

一緒に庭を一周し、キュウリやパセリを収穫して家に入りました。

父と布団を敷き、母と料理をし、夕食後にみんなで夜の散歩へ。

(くだらない)しりとりで大笑いをし、

その後も夜遅くまでボードゲームやトランプを楽しみました😊

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こんな環境でのびのびと育った私ですが、

思春期くらいになると息苦しくなってきました。

いわゆる、反抗期というやつですね。

大人になって、表立って反抗しなくなってからも、

心の底では何かにつけて反発してきました。

特に、母の心配がうっとうしく感じられ、

連絡が来るたびに

「放っておいてくれ!!」

と思ってしまいました。

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実家から帰る日の朝、

ひょんなことから母との対話がはじまりました。

私は感情的になってしまい、

つい母を責めるようなことも言ってしまった気がします。

用事のため早く家を出発しなければならないのに、

もう止まりません。笑

あーでもない、こーでもない、と話しているうち、

急に私の口からこんな言葉が出てきました。

「私は、お母さんに認めてほしかったの・・・!!」

自分でもびっくり😦

この言葉を口にしたとたん、なぜか涙が溢れてきました。

これが私の本音だったようです。

そう、私はただただ母に認めてほしかったのです。

「すごいね!」

「立派になったね!」

と言ってほしかったのです。

いやー、恥ずかしい😂

40にもなって。笑

まあでも、年齢は関係ないかもしれませんね。

いくつになっても、子供は親に認められたいものなのかもしれません。

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今まで、

「心配される → 認められていない(信頼されていない) → 悲しい → 反発する」

を繰り返してきました。

「なんでいつまでたっても私のことを信頼してくれないの!?」

という苛立ちを感じてきました。

でも、母は母で、娘の私に認めてほしかったのです。

もちろん、純粋に子供の身を案じる気持ちも強いと思います。

でも、お互いに「認めてほしかった」。

その本音に気づくことができました。

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よく考えると、私は親に対して自分の気持ちばかりを押し付けていました。

「親ならわかってくれて当然」

「親ならこうするべき」

「私のことをもっと理解して尊重してほしい」

でも、果たして私は、親の気持ちや考えにしっかりと耳を傾け、

親の人間性を理解しようとしたことがあっただろうか?

「家族だから」という甘えから、

相手を理解しようとすることを怠ってしまっていた気がします。

「相手を理解しようとする」

「相手をありのまま尊重する」

これは親子関係に限らず、

人間関係すべてにおいて大切なことかもしれません。

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とはいえ、子供にとって親というのはあまりにも影響力の大きな存在です。

赤ん坊の頃から育ててもらって、

無意識のレベルでたくさんのことを親から吸収しています。

心理的に近すぎるためか、なかなか素直になりずらい。

何か言われると、どうしても「イラっ」としてしまう。笑

それが愛情からくるものだと頭ではわかっていても、反射的に反発してしまう。

でも、反発できるって幸せなことです。

「反発しても見放されない」と、親の愛を100%信じているから反発できるのです。

そう思ったらなぜか泣けてきました😂

親って本当にありがたい存在ですね。

今回、母との対話を見守ってくれた父にも感謝です。

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今までずっと書きたいと思いつつ書けないでいた親への想い。

久々の帰省をきっかけに、ドキドキしながら書いてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました🍀